中勘助 妄執の純愛 絶対孤独の文学

 愛しても愛しても愛するひとのすべてを愛することができないとき、叫んでも叫んでもその声は愛するひとのこころには届かないとき、探しても探してもその手は愛するひとのたましいには触れることができないとき、ついにひとは絶望し、神を憎み、運命を呪い、絶対孤独という無限奈落の闇を永遠に落下し続ける。永遠の地獄。どこにも救いはない。おのれのたましいが滅びるまで、この永劫の地獄の業火に焼かれて苦しみ続ける。それでもひとは愛を求める。愛を求めてみずから地獄に落ちる。なに故に? なぜなら、このたましいが愛を求めるが故に。絶対孤独の闇の中で、このたましいが愛を求めて彷徨するが故に。如是我聞。五蘊皆空。この世界は所詮、不確定な確率的存在にすぎない。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、この手にふれるもの、そのいっさいは所詮、たましいが認識として生み出しているだけの無秩序で猥雑な一瞬の幻覚に過ぎない。絶対孤独の闇の中で、たましいは無数の世界の幻覚を生み出しては消している。幻覚に過ぎない世界が一瞬ごとに明滅する。その無数の幻覚の中で、ひとは無数の人生を経験する。無数のひとびとと出会い、無数のひとびとと別れる。そのひとびととの無数の思い出とともに。けれどもそれもまた所詮、たましいの生み出している幻覚に過ぎない。父も母もきょうだいも友も恋人も、そういういっさいのひとびととの記憶も幻覚に過ぎない。無限の闇の中に、たましいだけがひとり、ただひとりで、みずからの作り上げた幻覚の世界を観ている。人生とは、言わば、他に誰も観客のいない真っ暗な映画館で、ただひとりで、スクリーンに映し出された自作自演の映画を見ているということに過ぎない。次から次へと人生という名の映画は映し出される。ひとつの人生など一瞬に過ぎない。次の瞬間には別の人生を観ている。一瞬前の人生のことなど、もはや覚えていない。けれども、たましいは求め続けているのだ。他のたましいを。おのれと同じたましいとの出会いを!この永遠の絶対孤独の闇の中でたましいは叫ぶ。誰かいないか、と。そうして、たましいは、他のたましいを探し求めて、自らが生み出した幻覚に過ぎない世界を彷徨する。そのけっして報われることはないであろうたましいの苦しみに満ちた彷徨のことを、愛という。神は、愛という永遠の苦役をひとに与えた。たましいは愛を求めてやまず、そして愛はたましいをついに滅ぼす。それでもなお、ひとは愛を求める。報われないことを知っていながら。なに故に?なぜなら、このたましいが、絶対孤独の幻覚に過ぎない世界の嘘には耐えられないが故に。たましいは、出会うべくしてまだ出会っていないもうひとつのたましい、すなわちゼウスに引き裂かれたおのれの半身を求めてやまぬが故に。だから愛は、幻覚であってはならぬ。愛は絶対でなければならぬ。それ故、愛はいっさいの妥協を許さない。愛は数多くの中の一番であってはならない。そのような相対的な順位に過ぎない性愛的感情を愛とは言わぬ。絶対の愛とは唯一でありかつ必然でなければならぬ。ひとの認識を超越していなければならぬ。いっさいの合理化も言い訳も許さぬ。その愛はこの世界のはじまる前から定まり、かつたとえ世界がおわろうとも不滅である。然り。愛は運命である。そしてひとは問うであろう。はたしてそのような愛が本当にあり得るのか?と。けれども愛は、問うてはならぬ。愛を問う者は、愛を捨てよ。愛を疑う者に、愛を語る資格はない。愛を疑うくらいなら、永劫の闇の中でひとり、おのれの作った幻覚に過ぎぬフィクションの愛を礼賛する夢を見続けているがいい。おのれの作り出した幻覚に過ぎぬ世界の中で、相対的な順位に過ぎぬ性愛的感情を愛と呼んで満足している者たちにとっては、そのほうがよほど幸せであろう。なぜなら、真実の愛を求めれば、そのたましいを地獄の業火に焼かれねばならないのだから。愛はかくも容赦なくひとを苦しめる。神はかくも酷烈なる試練をひとに課した。けれども愛の名のもとに神に選ばれたひとびとは、絶対の愛のためならば永遠の地獄をも恐れぬ。そして、かれらは言う。絶対の愛をこの手にできないのであれば、たとえ愛情に満ちた安逸の人生の夢を約束されたとしても、そのような虚構に過ぎぬ人生にいったい何の意味があろうか。と。かくして、およそこの世でもっとも不幸な者とは、愛の名のもとに神に選ばれてしまった者たちのことである。

 そしてここに、不運にして神に選ばれたが故に愛を求めて永劫の闇を彷徨したひとりの作家がいる。中勘助。絶対の愛を求めて、文字どおりの地獄のごとき人生を生きた男である。それほど有名な作家ではない。が、夏目漱石の弟子。その漱石に未曽有の小説と高く評価された「銀の匙」の作者。と言えば、ああ、あの「銀の匙」の作者のことか、とその名を思い出す文学ファンも多いだろう。けれどもこの作家のすごみは、代表作とされる「銀の匙」を読んだだけでは、わからない。男女の性愛の苦悩と妄執を描いた「提婆達多」「犬」「菩提樹の蔭」の三部作、あるいは義姉末子、少女妙子への恋情を文学的に昇華させた一連の日記体小説群を読むとき、この作家の苦悩の深さと妄執の壮絶さに、僕は戦慄する。その苦しみは「人間失格」を書いた太宰の苦悩に匹敵する。いやむしろ太宰の苦悩の深淵よりもなお黒々と澱んでいる。太宰もまた絶対の愛を求めて彷徨した。が、太宰はその苦しみを受け止めることができず、それを「古代の荒々しい恐怖感」とだけ表現して、ついに神との戦いを避けた。いや、神と戦うことなく敗北を認めたと言っていい。が、勘助は、その苦しみから目をそらすことなく、おのれのたましいを捧げて真正面から受け止めようとした。勘助は仏陀とさえ戦わねばならなかった。静かに微笑んで五蘊皆空を説く仏陀の前に、勘助は煩悩三毒にただれる自身の剥き出しのたましいを突きつけた。おのれの絶対の愛を守るために。その人生はまさに地獄であったろう。この男が自殺することなく生きたこと自体がほとんど奇跡である(昭和40年没、80歳)。いや、勘助は生きたのではなかった。死ねなかったのである。旧藩主家令をつとめた厳格な士族の家に生まれた勘助は、東京帝国大学英文科に進んで漱石の教えを受ける。勘助には年の離れた兄がいた。長兄の金一である。東京帝国大学医科を卒業後、ドイツ留学を経て京都帝国大学福岡医科(後の九州帝国大学医科)教授となっていた。この長兄金一との確執が勘助を生涯苦しめるのである。金一は勘助の幼少期から、性質惰弱な勘助を教育と称して虐待した。勘助にとって金一は生涯の仇敵であった。「銀の匙」で勘助は、長兄について「あわれな人よ。なにかの縁あって地獄の道づれとなったこの人をにいさんと呼ぶ、、、」とまで描写している。その描写は当然、長兄も目にするのである。それでも書いたのだ。その確執の深さが良くわかる。そもそも「銀の匙」は、どういうわけか世評として、「子どもの純粋な気持ちを描写した美しいメルヘン」といった評価が一般化している。通説と言って良い。僕はこのような世評の流布が不思議でならない。はたしてこのような評価を口にしているひとたちは、ほんとうに「銀の匙」を読んだことがあるのだろうかと疑わざるを得ない。「銀の匙」は、純粋な童心を描写したメルヘンなどではない。断じて違う。「銀の匙」は、東京帝大を卒業して文筆家として生きる道を模索していた若き勘助が、おのれの呪われた人生の原風景をたどった心象スケッチである。それは、自分が決して報われることのない愛の彷徨に陥ることへの確信的な不安、蒙昧愚劣な大衆への抜きがたい嫌悪、そして長兄金一に代表される不条理な運命へのレジスタンスと諦念、そういう勘助の悲痛な怨嗟と恐怖の声に満ちている。「銀の匙」を書くことで自らの呪われた人生を見極めた勘助は、漱石の強烈な支持を受けて、作家としてデビューする。が、その後の勘助の作家活動は決して華々しいものではない。その活動はむしろ細々として常に危うさに曝されている。その大きな要因が、仇敵である長兄金一が脳溢血により再起不能になったことであった。後遺症により言語機能を失い身体機能にも障害を負った金一はいっさいの社会的地位と収入を失い、家長としての地位から一転して家族の介護を受ける一被扶養者となった。中家の経営はすべて勘助ひとりの肩に重くのしかかった。老いた母と、生活不能者となった長兄と、そして長兄の妻である義姉末子の三人が生きていくための道筋をつけなければならない。勘助は文学に専念するどころか、家計のやりくりと長兄の介護に心労を重ねた。自らの苦悩に殉じて自殺するどころではないのである。死ねないのだ。おのれが死ねば、この生産力のない三人もまた死なねばならぬ。勘助は生きた。けれどもそれは、幼い自分に母としての愛情を注いではくれなかった実母のためではなく、無論幼少より自分を虐待し続けた長兄金一のためでもなく、義姉末子のためであった。

 末子。勘助の人生はすべて、勘助より二歳年上のこの女性ひとりのためにあったと言っていい。野村子爵家の令嬢であった末子は、十九歳で長兄金一と結婚した。が、実は、末子は、華族女学校に通っている当時から、中学生の勘助にとって憧れのひとであった。その憧れの人が、選りにもよって仇敵である長兄の妻として中家の家族となった。勘助は言う。「私はそこにいまだかつて夢想したこともない善良無垢な人を見出した」と。末子は、勘助にとっての理想の人であった。女神であった。勘助は末子を惜しみなく礼賛する。「よしんば私が道徳的に癩のごとく爛れながら救いを求めて歩みよっても慈悲の双手をさしのべて迎えてくれるのは姉だけであろう」「真に貴い。真に美しい」と。けれどもその理想の人は、おのれが最も憎む長兄の隷属物としての妻であった。無論、妻はその夫に、性愛の対象として毎夜凌辱される。そして妻は、その凌辱にさえも思わず歓喜の声をもらすであろう。おのれの憧憬する女神が、おのれの最も憎むべき男に毎夜凌辱されて歓んでいる!およそ男としてこれ以上の苦しみはこの世にあるまい。絶対の愛を求める勘助の彷徨はこの時から始まったのである。勘助は性愛を全否定し、動物的な本能を全否定し、愛を精神的なものとして徹底的に純化しようとする。おのれの女神への絶対的な愛を守るために。勘助は、仏陀と対立して独自の教団をつくろうとした提婆達多の口を借りて、世界に向かって叫ぶのだ。「汝ら愚痴の者よ。罪業の淤泥にまみれ、淫楽の悪臭をはなちつつ蛆のごとくに人界を匍匐いまわる。汝らは猿のごとくに交尾み、猿のごとくに生み、猿のごとくに群居する。しかして色慾の肉縄につながれたる互いを夫とよび、妻とよび、親とよび、子とよぶ。汝らはまさに畜生道に堕ちるであろう」と。この提婆達多の叫びは、勘助自身の叫びである。毎夜くりかえされる「半痴半狂の凶暴な夫」との性愛の玩具として弄ばれ凌辱される末子のこころに届けとばかりに勘助は声を限りに叫ぶのだ。そのようなけものの淫楽とは無関係の純粋な愛こそが真の愛である、と。それは、末子という女神に勘助が捧げた祈りの言葉であった。この世においては、決しておのれの手の届かぬひと。愛しても愛しても、そのすべてを愛することができないひと。そのひとのために、そのひとに読んでもらいたいという、ただそれだけのために、勘助は「提婆達多」を書いたのである。そしてその思いは末子にも通じていた。勘助は言う。末子は、勘助の書いた「提婆達多」をくりかえし読んでは泣いていた、と。末子にとっても勘助は「暗黒の中のただひとつの光」であった、と。

 そして絶対の愛を求める勘助の戦いはさらに激しく悲壮になる。憎むべき兄の妻という現実世界の鎖につながれた末子は、勘助ひとりがその愛をいかに純化しようとも、所詮はその肉体を兄の性愛の玩具として凌辱にまかせるほかはない。凌辱されて歓喜の声をもらしている末子の姿を目の前にしながらなお、末子を愛していると言えるのか。動物として「猿のごとくに交尾んでいる」末子の姿を許すことができるのか。いや、許さなければならない。許すにはどうすれば良いのか。方法はひとつしかなかった。おのれもまた、「猿のごとくに交尾んでいる」けものになるしかないのである。勘助はそれを作品「犬」の中で実践した。美しく若い娘に恋い焦がれる醜い中年の修行僧は勘助自身にほかならない。修行僧は、秘法をもっておのれと娘とを犬に変身させて、狂気したように娘犬と交尾する。それは、作品中で犬となり、憧憬する末子との愛なき性交を堪能する勘助の姿である。勘助は、おのれの作品の中で末子をけものとして凌辱することで、兄との性愛に毎夜肉体をまかせる現実の末子を許すことができると考えた。末子を許すにはその方法しかなかった。すなわち勘助は、おのれもまた醜悪なる淫獣の汚らわしい性愛に耽溺することによって、末子が毎夜夫の前に曝しているであろう淫猥な痴態を責めようとするおのれの「道徳的資格」を自ら剥奪したのである。それ故、勘助は汚らわしい淫獣となった娘犬と僧犬との性愛の営みを細密に執拗なまでに描写し、そこから逃げることなく、その動物的な肉体的情欲の歓喜と救いのない醜悪さとを徹底的に凝視する。そして勘助は、ひとつの結論にたどりつく。たとえ肉体は汚らわしい淫獣に堕ちようとも、ひとのたましいは純粋な愛を探し求めてやまない。けれども、ひとの探し求める純粋な愛が神の祝福を受けることは決してないのだ、と。なぜなら、純粋な愛など、所詮、ひとが勝手に創っただけのフィクションに過ぎないのだから。娘犬が恋い慕う初恋の異教徒兵は、娘のことなど戦場での慰み物程度にしか記憶していない。異教徒兵との愛は、娘犬が見ている幻覚に過ぎないのだ。幻覚に過ぎぬ虚構の愛を絶対化するなど、神を裏切る偶像崇拝にほかならない。神の祝福があるはずがないのである。「犬」の結末では、娘犬は僧犬をかみ殺し、初恋の異教徒兵と再会することを神に祈って犬から人間の姿に戻ることができる。が、「その時、大地がかっと裂けて彼女は倒に奈落の底へ堕ちて」いくのだ。そこに神の救いはない。絶対の愛を求める彷徨の果てにあるのは無限奈落の闇である。それでもなお、ひとは絶対の愛を求めてやまない。娘を無限奈落に堕とすことで、勘助は、末子をおのれの無限奈落の地獄の道連れにしたのである。

 末子との絶望的な愛の彷徨に苦しむ一方で、勘助は、ひとりの美少女との密かな恋をはぐくんでいる。美少女とは、友人江木定男の娘妙子である。妙子は勘助を実の父のごとく慕い、勘助もまた妙子をこよなく可愛がった。が、勘助の日記体小説に登場するふたりの間には、父娘としての愛情だけでなく、男女の愛情の匂いが濃厚に漂っている。もっとも、それは、性愛の生臭さではない。末子との絶対の愛を求める勘助は、妙子にもまた絶対の愛を求めたのである。そして幼い妙子は、末子とはちがって、まだ誰の隷属物でもない処女である。勘助にとって、妙子は、華族女学校に通っていたころの汚れのない末子の身代わりであったのだろう。けれどもその妙子もまた、お茶の水女学校卒業後、東京商科大助教授と見合い結婚した。勘助にとって、妙子の結婚は、末子の結婚同様に、所詮「猿のごとくに交尾んでいる」だけの意味しかなかったであろう。絶対の愛など、どこにもないのだ。勘助は妙子のために「菩提樹の蔭」を書く。早世した恋人チューラナンダの石像を磨いた石工のプールナは、自らのいのちと引き替えに、チューラナンダの石像にいのちをふきこむように神に祈る。ギリシャ神話のピグマリオンと同じテーマである。ピグマリオンの願いは、女神アフロディーテに祝福されて、石像から人間となったガラテアを妻に迎える。が、勘助は、プールナの願いを成就させない。神の怒りにふれたプールナは死に、チューラナンダは石に帰る。そしてふたりの間に生まれていた子どもも死ぬのである。どこにも救いはない。いや、救いがあってはならないのである。なぜなら、末子を求める自分がそうであるように、いのちをかけても惜しくないという愛を求める人間の願いが神の祝福を受けることなどはないのだから。絶対の愛を求める者は、永劫、無限奈落を堕ち続けなければならないのだから。そしてそれでも、たましいは、絶対の愛を求めて永遠の闇を彷徨するのだから。真の愛を求める者には、苦しみだけがある。妙子は、病を得て三十五歳で早世する。勘助は自分より早く世を去ってしまった「娘」の妙子に言う。「妙子や 三十五年は長かったね」と。確かに、絶対の愛を探し続ける人生の苦しみは、三十五年でも長すぎたであろう。

 妙子と同じ年、末子も死んだ。五十九歳であった。勘助は、一度にふたりの女神を失ったのである。あとには、仇敵である老いた長兄だけが残った。妙子も末子も失った勘助は、五十七歳にしてようやく、結婚しようと思った。長兄の介護のためである。相手は、お茶の水女学校を卒業後、東京帝大で美術史を学んだという書道家で、十五歳下の嶋田和である。そして、この和との結婚式当日に、長兄金一が「急死」している。勘助は運命の定めた人生の桎梏からようやく解放された。が、すでに、愛する末子はこの世にいない。晩年、勘助が、友人に言った言葉がある。「(和は)姉に似たところのある人でしょう」と。勘助の目には、最期まで、末子しか映っていなかったのである。

 病弱に生まれて、銀の匙で苦いくすりを飲まされて始まった勘助の人生は、末子との絶対の愛を探し求める苦しみにのみ捧げられた。勘助の作品はすべて、その苦しみを乗り越えるための文学的昇華であり、おのれのためだけに書かれた救いのための祈りと言っていい。神が沈黙して救いを与えてくれぬ以上、愛を求めてやまぬ人間のたましいは、自らの祈りで自らを救うのである。たとえ、そこに救いなどないとしても!たとえそれが、神に逆らうことになろうとも!勘助のたましいはなお末子を探し求め、無限奈落の地獄の業火に焼かれているであろう。永劫。救いはない。それでもなお、勘助のたましいは、末子のたましいを探して闇を彷徨し続けるのだ。