魔術師

そのいかにも怪しげな魔術師は僕に、こう言った。

「君は、夢を見るだろう。」

「そりゃ、もちろん」と僕は答える。

「では、君は、夢の中で、ああ、これは夢だな、と気が付くことがあるかね。」

「まあ、そういう時もあれば、気が付かないときもあるよ。」

「気が付かない時、君は、夢の中の自分を生きていることになる。」

「夢の中の自分ね。まあ、そういう言い方もできるかな。夢の中では全くの別人格になっていることは、よくあることだからね。」

「とすると、眠っている君と、夢の中で生きている君と、君が二人いることになる。」

「二人? いやいや。僕自身は、あくまで眠っている方の僕だよ。」

「夢の中の君は、君ではないのか。」

「そりゃ、違うでしょ。所詮、夢ですからね。現実の僕は、眠っている。」

「夢? 現実? 君は、夢と現実の区別がつくのか?」

「そりゃ、つくさ。目が覚めれば、ああ、夢だったか、って気が付くよ。リアリティが全然違います。あたりまえだよ。」

「いや。あたりまえではない。君が、目が覚めて、ああ、夢だったか、と気が付くのは、君がまさに、『目が覚めた』からだ。『こっちの世界』に来たのだから、『あっちの世界』の現実感が薄らいでいるだけだ。逆に、夢の中の君は、夢の中の世界こそが現実と考えて生きているから、いわゆる現実の世界で眠っている君のことなど、気にもしていないはずだ。世界のリアリティなんてものは、君の意識が今どちらにあるかという偶然に依存しているに過ぎない。」

「じゃ、僕は、僕という意識は、現実と夢の間を行ったり来たりしてるってわけ?」

「行ったり来たり? なるほど、君の意識は、今、こっちの世界に来ている。では、あっちの世界の君は、存在しないのか? 君の意識がこっちに来ると、あっちの世界は消滅するのか? そうではないだろう。君が夢を見て、夢の中の自分を生きている間でも、現実世界の君は、すやすやと眠っているはずではないか。夢の中の自分と、すやすや眠っている自分は、どちらも存在する。とすれば、結局、眠っている君と、夢の中で生きている君と、君が二人いることになるし、夢の中の世界と、現実の世界とが、同時に存在していることになる。というか、存在せざるを得ない。」

「夢の世界と現実の世界とが、同時に存在するって?」

「そう考えざるを得ないと言ってるのだ。そうして、困ったことに、すやすや眠って夢を見ている現実世界の君もまた、別の世界の君が見ている夢かも知れないということだ。そうして、その君もまた、夢かも知れない。というふうに、夢と現実とが、無限に連鎖していく。となると、夢と現実の世界は、それこそ無数にあり、しかもそれらは同時に存在することになる。」

「無数の世界が、同時に存在する?」

「そう。世界は無数にあり、しかも同時に存在する。そして、君は、つまり君の意識は、その無数の世界のうちの一つの世界に、たまたま偶然『目覚めている』というわけだ。どの世界に『目覚める』かは、偶然に過ぎない。今、君が現実と思っている世界は、たまたま偶然、君の意識が『目覚めている』世界に過ぎない。」

「そうかな。だって、僕は、この世界で生きてきたという実感があるんだよ。小さな頃から今までの思い出もあるし、親兄弟だってあるし、この世界こそが、僕の本当の世界だって実感があるんだよ。」

「さっきも言っただろう? それは、君が、『こっちの世界』にいるから、そういう実感があるのは、ある意味、当然なのだよ。『こっちの世界』には、『こっちの世界』のストーリーがあるのさ。夢の中の君にだって、夢の中のストーリーがあるはずだ。『こっちの世界』に意識がある時は、君は、『こっちの世界』のストーリーに従って生きているんだよ。君の幼少期からの思い出も、君の親兄弟も、友人も恋人も、ぜんぶ、ストーリーだよ。『こっちの世界』という映画のシナリオなんだよ。君は、そのシナリオに従って生きているだけさ。で、そのシナリオってのは、『こっちの世界』だけのもので、『あっちの世界』には『あっちの世界』のためのシナリオがちゃんと用意されている。そうして面白いことに、『こっちの世界』にいながら、『あっちの世界」のシナリオを思い出そうとしても思い出せない。目が覚めた後に、かすかな脳裏の残像を頼りにして、夢の中の自分を思い出そうとしても思い出せずに、もやもやして、もどかしい思いをすることがあるだろう。あれだよ。」

「『あっちの世界』とか『こっちの世界』とか、ややこしいな。どこの世界にいたって、僕は僕じゃないのかね。」

「そう。君は、君だ。けれども、それは、『君の意識』という意味における『君』ではない。君の意識の奥底にある『根源的な君』だ。そういう『根源的な君』というものを適切に表現する名詞を、残念ながら未だかつて、人類は手にしたことが無い。だから、『根源的な君』などという表現しかできないが、つまり、そういう意味では、君は君だ。無数に、かつ同時に存在する、いっさいの『君』という意識の奥底には、『根源的な君』が、『あらねばならない』。けれども、それは、この世界の『中』では『あり得ない』。それは、世界の『外』で『あらねばならない』。すなわち、君は、君の奥底にあるであろう『根源的な君』を永遠に知ることができないのだ。」

と、そこで、僕は目が覚めた。